【山の怖い話】加門七海の小説「祝山(いわいやま)」。実話怪談の怖さをどうぞ。

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怖い話

怖い話。いわゆる怪談。
その中でも、実際に自分の身に起こった怪談を綴った実話怪談話が大好物な僕のような人におすすめなのが、最近読んだ加門七海さんの「祝山」です。

※同じく実話怪談として「残穢(映画「残穢~住んではいけない部屋~」公開前に原作小説を読んでみました)」もオススメ

表紙の雰囲気と、祝山という怪談に似つかわしくないタイトルに惹かれて読んでみましたが、普段通りの生活をしている中のなんでもない所から始まる「巻き込まれてしまう」形の実話怪談です。
肝試しってやっぱり好き好んで行くべきではないですよ。

 

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祝山のあらすじ

少しだけ「視える人」である主人公は、ある日かつての友人から相談を受ける。
それは「肝試しに山にある廃墟に行ったら、その後変な事が起こって…」というありがちな物だった。
話だけ聞いてみようと会ってみるが、皆どうも緊迫感が薄い。しかし、肝試しに行ったメンバーの中に一人だけ何か言いたげな女性(若尾)がいて…。

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あらすじ通り、主人公に何かしらの過失があるわけでもないのですが、怪異に巻き込まれてしまう物語がここから始まります。

精神的に、あるいは肉体的に変調をきたしていく肝試しに参加したメンバー達。なぜそうなってしまったのか?主人公は因縁を探り始めます。

山の怖い話というと、だいたいが「踏み入れてはいけない場所に足を踏み入れてしまう」物語か、「何も知らずに行ってみたらとんでもない場所だった」かのどちらかでしょう。
祝山は、その両方でもあり主人公は一切肝試しには参加していないのに巻き込まれて行くので怖さも倍々です。

余談ですが、主人公が自分自身の霊能力のほどを解説する際に「視力」で解説してくれたのはなるほどと思いました。
自分は普通の人と違って少しだけ視力がいい。だから視えるんだと。

しかし、視えた上に霊に対してアクションを起こせる人だけを「霊能力者」と呼べるのであって、視えるだけの自分は霊能力者ではない。と。
なんだか妙に納得してしまいました。

 

触ってはいけないモノに触れてしまい障られる人々

少しだけネタバレになりますが、肝試しに行った友人達が行った事は以下のようになっています。

インターネットで知った有名な心霊スポットである、ある山に残る製材所の廃墟に行き、まだインターネットでは誰も触れていなかった小屋で「ある物」を発見する。若尾が驚いて小屋を飛び出すが、つられて肝試しに行ったメンバー全員が小屋を飛び出し、一様に「あんなのがあるなんて普通じゃない」と驚き怖がりつつも楽しむ。
お祓いが必要かもしれないと考えた一行は、帰り道で廃墟の近くにあった「山神社」に車を停め、神主不在の神社の社で自己流のお祓いを行う

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神社でのお祓いは一般的ですが、そもそも肝試しに自分から行っておいて神様に「早く憑き物を落とせ。」というのは、端から見てもかなり乱暴です。

肝試しに行ったメンバーは何を見たのでしょうか?そして、いくつの「障ってはいけない物に触った」のでしょうか?

 

次第に明かされていく祝山の本当の姿

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祝山という山の名前は主人公が地図を調べている内に見つけるわけですが、地図からは本当の姿を伺い知る事はできません。

主人公は「祝山」という名前や、近隣の知名等から「古い時代から地元では神の住む山として恐れ崇められて来た山である」と仮説を立てて考えます。神様に触ってしまったのだと。

しかし、若尾だけは反論します。
あれは神様みたいな神聖な感じはしなかった。もっとこう…禍々しいモノだった」と。

こうして祝山の正体が徐々に明らかになっていくんですが、途中で出てくる「ある言葉」にゾッとしました。
それが分かった瞬間に色々な事が繋がって謎が氷解していくのも面白い(だからこそ余計に怖いんですが)。

祝山とは何なのか?彼らは何をしてしまったのか?

作者の実体験をベースに書かれた実話怪談の小説「祝山」。
明確に霊が現れて脅かしてくるわけでもないのですが、この小説はもっと根本的な所で怖い。土地の歴史だったり謂れだったり。先人が「触れるな」と伝えてきたそこには、明確に触れてはいけないモノがあるんだろう。というお話です。

山が身近になる今からの季節に読んで欲しい小説でした。